キリストのからだを建造するための十の大いに重要な「一」

唯一の聖書の唯一の主要な啓示
 唯一の聖書の唯一の、主要な啓示は、神のエコノミーの唯一の内容です。クリスチャンたちは聖書を、多くの解釈をもって二千年近くも研究してきました。どの解釈が正しいかを決定するのは難しいです。ウオッチマン・ニー兄弟は多くの時間を費やして、すべての正しい、主要な聖書解釈を集めました。主に感謝します。わたしが彼と一緒に十八年近く労苦していた時、彼は自分の集めたものをわたしに告げました。こうして、今日、わたしたちの聖書解釈は、過去十九世紀に及ぶ正しい解釈にしたがっているのです。
 回復訳は、実はわたしの版ではありません。なぜなら、わたしの聖書の理解は、絶対にウオッチマン・ニー兄弟の解釈によっているからです。さらに、ニー兄弟の解釈は、過去十九世紀におけるすべての聖徒たちの正しい解釈によっています。これは、ニー兄弟とわたしが、わたしたち自身では何も見なかったというのではなく、わたしたちが自分たちの理解を、正しい土台の上に据えたということです。
 
キリストの命における成長によって
 最後に、この一種類の生活は、キリストの命における成長によって円熟に至り、キリストのからだを建造するためです(エペソ四・十五―十六)。
 主がこの七十三年間でわたしたちに、この真理の嗣業を与えてくださった彼のあわれみのゆえに、主を賛美します。この真理の嗣業は、過去の世紀における、すべての最高の聖書研究者と聖書教師たちの解釈に基づいています。召会教父たちは、三一の神に関する真理を見ました。この事実は聖書にありますが、「三一」という言葉はそこにはありません。召会教父たちは、一であるわたしたちの神が三であることを見ました。ですから彼らは、「三一」(triune)という言葉を発明しました。後ほど、主は内なる命を見た何人かの人たちを興されました。ウイリアム・ローはその霊を強調しました。次にアンドリュー・マーレーは、栄光を受けたイエスの霊の中には人性があることを見ました。ジェシー・ペン・ルイスはキリストの主観的な死を見、オースチン・スパークス兄弟はからだのための復活の原則を見ました。次にウオッチマン・ニー兄弟がさらに何かを見て、すべての先行の事柄を集めて一つのパッケージにしました。わたしはこれを涙をもって言います。彼はこのパッケージをわたしに渡してくれました。
 わたしが合衆国に来た時、わたしたちが見た新鮮な啓示を伝えるのに、多くの新しい用語を発明しました。この三年間で、主はわたしたちを、彼の神聖な啓示の高嶺へともたらしてくださいました。今やわたしたちには、回復訳とライフスタディメッセージという完全な賜物があります。わたしたちはこれを尊ぶべきです。これは、わたしたちがウオッチマン・ニー、あるいはウイットネス・リーを高く上げることを意味するのではありません。むしろ、わたしたちは三一の神を高く上げます。彼は何世紀にもわたって多くの解釈する者を通して語り、二人の兄弟を用いて、神聖な啓示の蓄積された理解の結晶を、わたしたちに提示してくださいました。
 わたしはこれが終わりの時であることを知っています。主はこの時代を、回復訳とライフスタディメッセージの中で伝えられたすべての真理をもって、閉じられるでしょう。遅かれ早かれ、これらすべての真理は出ていって、キリスト教の不完全な神学を征服するでしょう。
 
[”キリストのからだを建造するための十の大いに重要な「一」”からの抜粋]