命の霊の法則によって勝利を得る生活をする

メッセージ 1
命の霊の法則――勝利を得る生活をするかぎ
聖書:ローマ7:15―8:2, 4, 6
一. 主は彼の信者たちがすべて勝利者になること,正常なクリスチャン生活をしてキリストの花嫁となることを願っています――啓2:7.ピリピ1:19-21前半.3:8-14.IIコリント3:3, 6.コロサイ1:10.啓19:7-9。
二. 勝利者になるかぎは,ローマ第8章にある命の霊の法則です。この章は,真剣に追い求める者のための章です――ローマ7:24-25.8:1-2, 28-29:
  A. ローマ第7章は,「肉の中」にいる経験です。ローマ第8章は,「霊の中」にいる経験です(この霊は,神の霊がわたしたちの人の霊の中に住み,二つ霊がミングリングされて一つ霊となった霊です)――4, 9-10, 16節.Iコリント6:17.IIテモテ4:22。
  B. ローマ第8章の命の霊の法則を享受することは,わたしたちをローマ第12章のキリストのからだの実際の中にもたらします。わたしたちがからだの中で,からだのために生きる時,この法則は内側で活動します――8:2, 28-29.12:1-2, 11.ピリピ1:19。
三. 内住のキリストを命の霊の法則として経験するためには,ローマ第7章と第8章の三つの命と四つの法則を見る必要があります:
  A. 創造された人の命と善の法則は,わたしたちの魂の中にあります。この法則は天然の人の命から,すなわち,人自身から出ています――7:21-23.創1:31.伝7:29中。
  B. 悪のサタン的な命と罪と死の法則は,わたしたちの肉の中にあります。この法則はサタンから,すなわち,信者の肉の中に住んでいる罪から出ています――ローマ6:6.7:15-20, 23-24.Iヨハネ3:10.ヨハネ8:44.マタイ13:38.3:7.23:33.ローマ3:13。
  C. 非受造の神聖な命と命の霊の法則は,わたしたちの人の霊の中にあります。この法則は神から,すなわち,人の霊の中に住んでいるその霊から出ています――8:2, 10, 16.ヨハネ1:4.10:10後半.14:6前半.Iコリント15:45後半。
  D. この三者と三つの法則が,今や信者の中にあります。それは,この三者(神,人,サタン)がエデンの園にいたのとほとんど同じです(創第3章)。
  E. 信者の中のこの三つの法則に加えて,神の律法(法則)が信者の外にあります――ローマ7:22, 25。
四. ローマ第8章の主題は,命の霊の法則です:
  A. すべての命には法則があり,命は法則でさえあります。神の命は最高の命であり,この命の法則は最高の法則です――参照, ヨハネ1:4-5.12:24.14:6前半.10:10後半.Iコリント15:45後半。
  B. 三一の神は受肉,十字架,復活,昇天の手順を経過して,命の霊の法則となり,「科学的」な法則,自動的な原理として,わたしたちの霊の中に有機的に設置されました――ローマ8:2-3, 11, 34, 16。
  C. 命の霊の法則は,神聖な命の自発的な力です。それは神聖な命の自然な特性であり,本来備わっている,自動的な機能です――8:2.ピリピ2:13.エゼキエル36:26-27.参照, 箴30:18-19前半.イザヤ40:28-31.ヘブル12:2前半.ピリピ4:13.コロサイ1:28-29。
  D. わたしたちが主と接触し続け,主との接触の中にとどまっている時,命の霊の法則は自動的に,自然に,たやすく働きます:
    1. わたしたちは自分の奮闘や努力をやめる必要があります――ガラテヤ2:20前半.ローマ7:15-20:
      a. もしわたしたちが,罪が法則であること,わたしたちの意志が決してこの法則に打ち勝つことができないことを見たことがないなら,ローマ第7章のわなに落ち込んでおり,決してローマ第8章に到達しません。
      b. パウロは何度も志を立てましたが,その結果は失敗の繰り返しでした。人ができることはせいぜい,決心することです――7:18.参照, マタイ26:41
      c. 罪がわたしたちの中で潜伏している時,罪にすぎませんが,わたしたちが善をしようと欲することによって目覚める時,それは「悪」になります――「そこでわたしは,善をしようと欲しているわたしに,悪が共にあるという法則を見いだします」――ローマ7:21
      d. わたしたちは志を立てるのではなく,思いを霊に付け,霊にしたがって歩くべきです――8:6, 4.ピリピ2:13.参照, Iヨハネ5:4, 18.ヨハネ3:6。
    2. わたしたちは祈りによって,また依存する霊によって,内住する,設置された,自動的な,内側で活動する神と協力し,こうして命の主,また働きの主との交わりを維持する必要があります――Iテサロニケ5:17.エペソ6:17-18。
    3. わたしたちは霊の中の命の感覚を顧みて,命の交わり,すなわち神聖な命の流れの中にとどまり,命の霊の法則に活動していただく必要があります――ローマ8:6, 16.Iヨハネ1:2-3, 6-7:
      a. 命の感覚は,消極的な面で,死の感覚です。死の感覚は弱さ,むなしさ,不適,不安,憂うつ,渇き,暗やみ,痛みなどです――ローマ8:6前半。
      b. 命の感覚は,積極的な面で,命と平安の感覚です。命の感覚は強さ,満足,平安,安息,解放,活発さ,潤い,明るさ,慰めなどです――6節後半。
      c. 命の感覚は,神の命にしたがった良心の感覚と関係があります――エペソ4:19。
    4. 霊は神の命と接触する器官です。心は,神の命がわたしたちの中に分与され,わたしたちの中で自由に活動するようにするかぎ,スイッチ,戦略地点です――詩78:8.箴4:23.エゼキエル36:26.エペソ3:17.参照, エゼキエル14:3:
      a. 神はわたしたちの心が柔らかいことを願っています――IIコリント3:3, 16, 18。
      b. 神はわたしたちの心が純粋であることを願っています――マタイ5:8。
      c. 神はわたしたちの心が愛することを願っています――マルコ12:30。
      d. 神はわたしたちの心が平安であることを願っています――使徒24:16。
  E. キリストのからだの中でのわたしたちの生活と奉仕のすべてのかぎは,わたしたちの内側で活動する命の霊の法則です:
    1. 神格においてではなく,命,性質,表現においてわたしたちを神とし,神の長子のかたちに形成して,ご自身の団体の表現とならせる――ローマ8:2, 29。
    2. わたしたちをキリストのからだの肢体に構成し,あらゆる種類の機能を持たせる――エペソ4:11-12, 16。